+++ 好きなチョコ 嫌いなチョコ +++
ハニー様
ハードな練習が終わり、空きっ腹を抱えての帰り道。
いつものバーガーショップへ向かい、自転車を転がしながら人通りの多い商店街を歩いていると、ふいにリョーマが前方を指差して立ち止まる。
「桃センパイ…何スか?あれ」
リョーマが指差したのは、洋菓子店の前に作られたワゴンに群がる人だかりだった。
人だかりは女性客ばかりで、青学の制服も見え隠れしている。ワゴンの周囲には赤やピンクのハート型の風船が浮かび、”愛をチョコレートに託して”という謳い文句が、でかでかと書かれていたりもする。ワゴンに山積みされた色とりどりの箱や小袋を、幾つも腕に抱え込んでいるのが、年末バーゲンの再来のようで鬼気迫る。
それを見ただけで、桃城は合点がいったように頷いた。
「そうか、明日はバレンタインだもんなぁ」
「バレンタイン?」
リョーマは、ますます不可解な顔つきになる。
「そ。2月14日は、バレンタイン・デーだろ?ああやって買ったチョコを、好きなヤツにプレゼントするんだ。義理チョコやら本命チョコやら、色々あるらしいけどな」
今では小学生でも知っている国民的一大イベントだが、記念日の本当の由来やチョコレートを贈る理由は、一般的には知られていない。
「フーン…変なの」
リョーマは、興味なさげに呟いて歩きだす。
もちろん、リョーマだって2月14日が何の日かは知っている。けれども、アメリカでは親しい友達や家族でカードや花を贈って祝うのが主流で、女性からチョコレートを贈るものと限ったものではない。それに、多民族国家といわれるだけあって、宗教の違いから、St.VALLENTINE
DAYをこれほど熱狂的なイベントとして扱うことはしないため、ワゴンに群がる女性客の熱気が、リョーマには奇異に映ったのだ。
リョーマの気のない返事に、並んで歩く桃城は苦笑する。
「学校だって、明日になったら特別賑やかだぜ。人気投票じゃねーけど、ちょっとしたお祭り騒ぎだ」
「へー。そうなんスか」
桃城とリョーマが洋菓子店を通り過ぎようとしたその時、甲高い声が響いた。
「あーッ!リョーマ様ッ!!」
その声のした方に視線を向けると、いつも試合や練習を見に来る女生徒が二人、リョーマに向かって駆け寄ってきた。
たった今、チョコレートを買い終えたばかりらしい、ファンシーな紙袋を手に提げている。
「リョーマ様、練習帰りですかぁ?」
「…そーだけど」
リョーマは、ぼそっと返答する。
隣の長い三つ編みおさげのコが、コーチの孫だというのはわかっているのだが、いかんせん、親しげに話しかけてきたコの名前を、リョーマはいまだに覚えていない。
「アタシ達、バレンタインチョコ買っててぇ、こんな時間になっちゃったんですよぉ〜。ね、桜乃」
「あ…う、うん。そうなの」
腕を引かれ、桜乃が気弱そうに頷いた。
普段からおとなしめの桜乃に構わず、友達の方は早口の高いテンションで、再びリョーマに話しかけた。
「どこのお店のチョコが美味しいか、色々回って選ぶのに迷っちゃったんですけど、あそこのお店のチョコが評判だって友達から聞いて。でも、凄く高いんですよー。お小遣い少ないのに。お父さんの分なんて、もう一番小さくて安いのにしちゃったんですけど。もちろん、リョーマ様には本命チョコですから。明日、楽しみにしてて下さいね!」
「…いらない」
不機嫌そうなリョーマの一言に、二人が驚いて目を見開いた。
「お、おい。越前」
思ってもいなかったリョーマの反応に、桃城も慌てて口を挟む。
そんな桃城をも、ますます不機嫌そうにリョーマは睨みつけてもう一度言った。
「俺、チョコレートいらないから。本命とか何とか、バカバカしいと思わないの?」
そう言い捨てるとリョーマは一人、早足で行ってしまう。
冷たい言葉を突きつけられたはずなのだが、嘆くよりも先にあっけに取られてリョーマを見送ってしまった二人に、桃城が頭を下げた。
「すまねぇな、二人とも。アイツ、どうやら虫の居所が悪かったみてーだから…ホント、ごめん」
ひとしきり早口で言い残し、桃城はリョーマの後を追う。
商店街は夕方の買出しに賑わっており、自転車を押しているとなかなか思うように進めない。人ごみにまぎれて、小柄なリョーマを見失わないよう、桃城は大声で呼び止めた。
「おい、待てよ越前!」
追いかけてくる桃城の声に気付いていたらしいリョーマは、そこで立ち止まった。
「なんスか?先輩」
振り返ったリョーマの表情は普段と変わらないものの、声には不機嫌さが表れている。
リョーマの横に自転車をつけて、桃城は呆れたように大きなため息をついた。
「お前なぁ……何が気に障ったのか知んねーが、チョコレートくらい貰ってやれよ。可哀相だろ、あの子たち」
もっともらしい桃城の言葉だが、リョーマは少しも態度を和らげずに言った。
「欲しくないものを、いらないって言うのは俺の自由でしょ。可哀相なら、先輩が貰ってあげたら?」
「いや、そういう問題じゃねぇ。可哀相ってのは、あの子たちの気持ちがだな…」
リョーマが更に怒ったように唇を引き結ぶのを見て、桃城は言葉を途切らせた。
ふいにリョーマは桃城から視線を逸らす。
「俺、帰る」
「って、おい。寄ってかねーのかよッ?」
目的地だったハンバーガーショップは、もう目の前だ。
桃城の問いかけに、リョーマは振り向かずに言った。
「俺、今はハンバーガーより、チョコレートが食べたい」
「はぁ?!チョコレート?!」
「明日じゃいらない。今、食べたい。さっきの店の」
そう言って、リョーマは肩越しに振り返る。
「女の人、沢山いたけど。桃先輩、俺の事好きなら、買ってきてくれるよね」
「お前ッ――」
多少なら我侭なのも可愛いものだが、今日のリョーマは聞き分けがなさ過ぎる。鼻白んだ桃城が手を伸ばそうとした瞬間、リョーマは素早く身をかわして言った。
「じゃあ、俺、帰るから。俺が家に着くまでに、買ってきてくれなかったら、明日から桃城先輩とは口きかないよ」
「待てよ!越前―――」
走り去る後姿は、既に雑踏の向こうだった。リョーマの、本気とも冗談ともつかない希望を叶えるべきか否か…けれども迷ったのは、僅かな間だけだった。
「えーい、クソッ!」
桃城は、自転車を掴むと、洋菓子店のあった方向へとハンドルを向けた。
いったい、何がどうしてリョーマがあれほど不機嫌になったのかはわからない。とにかくリョーマの気持ちは、リョーマに訊くしかない。
桃城がわかっているのは、リョーマが一度言い出したことは絶対に引かない、それだけだ。
桃城が自転車を飛ばしてリョーマに追いついたのは、リョーマの家にほど近い小さな公園の前だった。
砂場と低い鉄棒とジャングルジム程度しかない狭い公園に、ぽつりと灯る白色灯の明かりの下、リョーマは桃城に渡されたチョコレートの包みを解き、手のひらに収まる細長いケースに並ぶ、ひとくち大の丸いチョコを一つ、口の中に放り込む。
「……やっぱ、甘い」
あからさまに顔を顰めたリョーマに、それまで黙っていた桃城は堪えきれず、呆れたように言った。
「食べたいって言ったの、お前だろ?」
「うん。そう」
案外素直にリョーマは頷いてみせると、ケースを開いた時に落としてしまった、ハートマークのちりばめられた可愛いラッピンク用紙を拾い上げた。
「チョコレート一つで気持ちが伝わるんなら、随分とハートは安上がりに出来てるよね」
リョーマが小さく呟いた声は、仄かな明かりの下で白い息に変わる。
言葉の意味を捉えかねて黙っている桃城を見上げ、リョーマは口の端を歪めて微かに笑った。
「桃先輩はさぁ、俺が女の子からチョコレート貰っても、平気なワケ?」
「えッ…?」
一瞬、桃城は口ごもる。
「しかも先輩と一緒にいる時に。―――もし俺が明日、誰かの本命チョコ受け取って「ありがとう」って言っても、先輩は何とも思わない?」
リョーマは、桃城を真っ直ぐにみつめたままで言った。
「俺は、嫌だよ」
「……越前…」
「桃先輩が、誰かからチョコを貰うのも。桃先輩が嬉しそうにするのも。俺だったら、見たくない」
リョーマの一途なまなざしに、ふいに胸を塞がれたように、桃城は言葉が出てこない。
バレンタインデーを単なるイベントのように考えていたのは、むしろ桃城の方だったのかも知れない。リョーマの気持ちも知らず、女の子からのチョコレートを貰ってやれなんて言ったのは、あまりにも軽々しく、デリカシーのない言動だったことに、改めて桃城は気付いた。
「済まねぇ…越前―――」
「でも、もういいや」
桃城からの謝罪の言葉を遮り、リョーマは明るい口調で言った。
封をしたチョコレートケースをポケットに捩じ込み、リョーマはいつもの不敵な笑みを桃城に向ける。
「明日、先輩にチョコレートをあげる人がいても、桃先輩からチョコレート貰ったのは俺一人だからね」
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